Jun 08, 2010

自己破産は恥ずかしいことではない

自己破産といえばどうでもいいイメージを持っている人はいないでしょう。借金を踏み倒し、相手に迷惑をかけるということはあるが法的にきちんと認められていることなので、正々堂々と使用する必要があります。借金で人生がもうどうしようもない人々を救うために自己破産が、すべての資産を放棄することを意味します。負債も資産に該当するためこれを放棄することです。
何事にも長所があれば短所もある。任意整理もそうだ。これだけで、督促が一旦停止するが、ブラックリストにしまって、借金自体が完全になくなると言うわけではない。任意整理のメリットだけが強調されているような気もしないでもないが、やはり物事の良い面しか伝えないのはどうかと思う。
 横浜青年会議所(横浜市中区山下町、宝田博士理事長)は25日、東日本大震災の被災者を支援するため、JR桜木町駅前で義援金募金活動を行った。会議所内の災害対策本部が中心となり、会員約20人が帰宅途中の人たちに寄付を呼びかけた。

 同会議所では食料や粉ミルク、紙おむつなど4トントラック2台分の物資支援も行っており、今後も状況を見据えながら継続していくという。宝田理事長は、「横浜青年会議所の精神にのっとり、できる限りの支援を行いたい」と話した。 

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 東京電力福島第1原発の放水作業にあたった川崎市消防局の緊急消防援助隊36人が28日、市役所本庁舎(川崎区)で帰隊報告式を行った。現地で指揮を執った冨岡隆統括部隊長(59)は「士気の高い隊員は誇り。原発が無事に収まり、活動が無駄にならないことを祈る。出発前に市民からお守りを届けられたことに感謝している」と活動を振り返った。

 援助隊は東京消防庁が設置した遠距離大量送水装置などを使い、25日に放水活動を行った。冨岡隊長のほか、小林英木副隊長(54)らが活動を報告。現地では予備の機材で訓練ができない状況だったため、隊員は手順が書かれた紙などを太ももや腕に貼って作業したことを紹介した。

 また、「測定器で物質が出てることは分かるので、放射能は見えるものだと認識。隊員は冷静に実行できた」と振り返った。安全を期すため、1回の活動での被ばく線量を10ミリシーベルトに設定したという。希望した8人が、現地でヨウ素剤を飲んだことも明かした。

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 「あの日」から17日。選抜高校野球大会が行われた兵庫・甲子園球場のアルプススタンドを埋め尽くした応援団から、一球に、一打に声援が飛んだ。「がんばれ! 東北。がんばろう! 日本」と記された小旗が揺れる。被災地・宮城からの応援だけでなく、関西の高校生や少年野球チームなど、平日にもかかわらず約2万7千人が駆け付けた。

 東北高の主将・上村健人投手は相模原市立緑が丘中出身。茶谷良太三塁手は茅ケ崎市立浜須賀中出身だ。ともにシニアで鳴らした有望選手。実力を見込まれて強豪・東北高に進学した。

 この日、スタンドには両選手の両親の姿も。ともに震災以降は選手たちと会えておらず、久しぶりの息子の姿を、グラウンドに追った。

 震災直後、遠く離れた息子たちの安否が気が気ではなかった。上村選手の父・一夫さん(42)は「数日間、全く連絡が取れなかった。チームと一緒にいるから平気だろうと思っても、やっぱり心配で」と振り返る。ようやく連絡がついたのは地震3日後。電話口の息子は「大丈夫。自分のことは気にしないで」と、冷静に答えた。

 学校周辺の被害は小さかったが、寮は停電。地震当日の夜から選手は近くの中学校へ避難し、そこで3日間過ごした。その間は給水活動や炊き出しなどを手伝い、もちろん「野球どころではなかった」と茶谷選手。「学校から車で20分ぐらいの海岸には、遺体がいっぱいあると聞いた。それを思うと…」と口をつぐんだ。

 大阪入りしても、気丈に振る舞い続けた選手たち。殺到した報道陣にも誠実に対応し、被災地の代表として「頑張ります」というメッセージを送り続けた。

 23日の開会式で息子の姿を見掛けた茶谷選手の母・真知子さん(47)は、「野球に集中させたかったから」と、あえて声を掛けなかった。迎えた試合当日。真知子さんは「大会開催に賛否はあったと思う。でも(仙台にいる)チームメートの母親たちが世話をしてくれたから(甲子園まで)来られた」と、大会出場の意味をかみしめた。一夫さんは「精神的につらいと思うけれど、頑張って」と声援を送った。

 試合は大差で負けたものの、上村選手は「被災地の人、応援してくれる人に支えられてこの試合ができた。何かが伝わったらうれしい。胸を張って帰りたい」。茶谷選手は「もしかしたら一生に一度の甲子園かもしれない。うれしかった」と、張り詰めていた緊張を解いた。

 ともかく、大好きな野球を、憧れの甲子園球場でできた。大きな苦難に直面した球児たちに、“春”が訪れた。 

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